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仙台高等裁判所 昭和62年(う)137号 判決 1987年11月12日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人瀧田三良、同石井一志連名の控訴趣意書(なお、主任弁護人瀧田三良は、当審第一回公判期日において、控訴趣意第一の理由不備あるいは事実誤認の主張は、鑑識カードに証拠能力がないとする点は判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反であり、また、証明力のない鑑識カード等に基づき被告人の酒酔い運転を認定した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、という趣旨である、と釈明した。)に、これに対する答弁は、検察官辻田耕作作成名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

控訴趣意第一のうち訴訟手続の法令違反を主張する点について

所論は、要するに、原判決が、原判示第一の事実の認定の証拠として挙示する司法巡査作成の酒酔い鑑識カード(以下、「鑑識カード」という。)につき、(一) SD型検知管による呼気アルコール濃度の判定に際し、その実施前、被告人にはうがいを不可能とするような合理的な事情がないのに、うがいをさせなかったのは、適正手続の遵守を怠ったものであり、(二) 鑑識カードの「見分状況」欄中の「言語態度の状況」欄の不動文字部分に調査結果の記載がなく、これらの点からすると、同カードには証拠能力がない、というのである。

しかしながら、原審が、原判示第一の事実の認定の証拠として鑑識カードを証拠能力のある証拠として採用し、これを事実認定の証拠とした措置には、所論のような訴訟手続の法令違反はない。すなわち、記録によれば、鑑識カードは、原審第一回公判期日において、原判示第一の事実の証拠として検察官から請求され、同意書面として適法に採用されて取り調べられているばかりでなく、鑑識カードによれば、被告人は、飲酒検知の調査当時、あごを打っており口から血を流していたため、調査を担当した司法巡査白井講喜は、被告人にうがいをさせることなくSD型検知管による飲酒検知の調査を実施し、その結果、呼気一リットルにつき0.3ミリグラムのアルコール濃度を検知したことが認められる。所論は、アルコール濃度の検知調査前に、被告人にはうがいを不可能とするような合理的事情はなかったと主張するが、関係証拠によると、被告人は、原判示第二の交通事故(以下、「本件事故」という。)を起こして右下顎骨骨折等を含む重傷を負い、事故現場付近でアルコール濃度の検知調査を受けた直後、福島県立田島病院に収容されたことが認められるのであって、右の事実によれば、右調査を担当した白井において、被告人が口から血を流していたため、調査に先立ってうがいをさせなかったとしても、あながちうがいをさせなかったことについて合理的事情がなかったとはいえない。所論は、また、被告人にうがいをさせずにアルコール検知調査を実施したことは適正手続を欠き鑑識カードの証拠能力を失わせるものであると主張するが、当審において取り調べた科学警察研究所警察庁技官及川智正作成の回答書を含む関係証拠によると、被告人が原判示永井一由(以下、「永井」という。)らとともに飲酒を終えてスナック「ラブ」を出たのは昭和六一年五月一日午後一一時三〇分ころであって、その後本件事故を起こして右検知調査を受けるまで全く飲酒しておらず、右調査を受けたのは同月二日午前零時二九分であり、飲酒終了後右調査まで約一時間を経過したこと、及び、口腔内に残留する酒類は三〇分程度経過後は、おう吐など特別な条件がなければ、北川式飲酒検知器(飲酒検知管SD型使用)による検知結果に及ぼす影響を考慮する必要はないことが認められる。右の事実によると、本件アルコール濃度の検知調査当時、事前に被告人にうがいをさせなかったとしても適正手続を欠くとはいえず、鑑識カードの証拠能力を失わせるものとはいえないから、所論(一)は採用できない。更に、鑑識カードによると、同カード中の「見分状況」欄中、「言語態度の状況」欄の不動文字の該当欄に記載のないことは明らかであるが、「言語態度の具体的内容」欄には、被告人の当時の言語態度につき、「一由を早くさがしてくれと何度もくり返していた。」と極めて具体的に記載されていることが認められるうえ、その他濃度の測定値や諸状況の調査結果を総合して被告人の酒酔い状態を判定しているのであるから、以上の事実によると、「言語態度の状況」欄の不動文字の該当欄に記載がないからといって、それが総合判定に影響するものとは到底認められないので、鑑識カードの証拠能力を否定する理由となるものではない。所論(二)は採用の限りではない。以上のとおり、いずれの点からしても、鑑識カードには証拠能力がないから原判決には訴訟手続の法令違反があるとする主張は採用し難く、論旨は理由がない。

控訴趣意第一のうち事実誤認を主張する点について

所論は、要するに、被告人は、アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態にはなかったのに、信用性に乏しい鑑識カード等に基づいて原判示第一の事実を認定したのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認である、というのである。

そこで、まず、所論指摘の鑑識カードの信用性について検討すると、次の事実を是認することができる。すなわち、被告人は、本件事故前後の同月一日午後九時三〇分ころから、永井らと飲酒店「よってんべ」において少なくとも清酒約三合を飲んだが、夕食をとらず空腹状態であり、かつ、また、遅れて参加したためかなり早い調子で飲んだこと、その後、被告人は、スナック「ラブ」に赴き、ウイスキーの水割りを三、四杯飲んだため、体がほてり気分もよくなっており、酒に酔っていることを十分自覚していたこと、被告人らは、その後、更に、会津若松市内でラーメンでも食べようということになり、被告人方の駐車場に停めてあった原判示普通乗用自動車(以下、「本件自動車」という。)に永井らを同乗させ、被告人が運転して発進したが、被告人は、夜間で通行車両もなく、また、警察官に発覚することもないだろうということから運転を開始したこと、被告人は、右自動車を発進させてから本件事故に至るまでの間、六キロメートル余り走行した福島県南会津郡下郷町大字豊成字地内の渡部工務所スノーシェット工事現場付近において、酒の酔いのため運転が大胆となり工事用の赤信号を無視して走行し、また、九キロメートル余り進行した同町大字豊成字大割三九七一番地の三所在の大川ドライブイン付近を歩行中、酒の酔いのため運転の感覚が鈍り道路中央線を越え右側車線にはみ出して走行していることに気付きあわてて左転把するなど、運転開始前に飲んだ酒などの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で本件自動車を運転したことが認められ、これらの事実を勘案すると、鑑識カードの記載内容はそれ自体不自然、不合理な点はないばかりでなく、右認定事実とほぼ符合するものであって、鑑識カードの記載内容は十分信用に値するものというべきである。

所論は、鑑識カードが信用性に乏しい根拠として、(一) 検知調査前、被告人にうがいをさせていないのであるから、化学判定の結果である呼気一リットル中のアルコール濃度0.3ミリグラムの数値は信用性に乏しい、(二) 同カードの「言語態度の状況」欄の不動文字に記載がないことからすると、同カード全体の信用性に重大な疑問が残る、(三) 同カードの「質問応答状況」欄の記載からしてもアルコールの影響による異常は認められない、(四) 同カードの「見分状況」欄の記載についても、被告人が重傷を負った直後であることを考慮すると、同欄記載の歩行能力や直立能力はアルコールの影響だけと は速断できない、と主張する。しかしながら、アルコール濃度の検知調査前に被告人にうがいをさせなかったとしても、本件の場合、検知結果に影響のないことは前記のとおりであるから、所論(一)は採用できない。また、鑑識カードの「見分状況」欄のうち、「言語態度の状況」欄の不動文字の該当欄に記載がなくても、「言語態度の具体的内容」欄には顕著な特徴として具体的に被告人の言語態度の内容が記載されているのであるから、むしろ同カードの記載は全体として信用性に富み、所論(二)は採用に値しない。更に、鑑識カードの「質問応答状況」欄が所論のような記載となっていても、同カードは、同欄の記載内容のみならず、他の状況等をも総合勘案して酒酔い状態と認定しているのであるから、所論(三)も採用の限りではない。また、医師紺野慎一作成の被告人についての診断書によると、被告人は、頭部打撲等の傷害を負ったことが認められるが、鑑識カードは歩行能力や直立能力のみならず、酒臭や顔色、目の状態等を総合して酒酔い状態と認定しているのであるから、所論(四)も採用できない。

そして、信用性に疑いを容れない鑑識カードを含む原判示第一の事実に関する原判決挙示の各証拠を総合すると、原判決が、被告人の酒酔い運転の事実を認定(但し、この点に関する補強証拠については後記のとおり。)して、被告人を有罪とした原判決の認定、判断は、優に首肯することができるのであって、原裁判所において取り調べた他の証拠及び当審における事実取調べの結果を併せ検討しても、原判決の認定、判断に事実の誤認はない。

所論は、被告人の酒酔い状態につき、被告人の当夜の飲酒量は被告人の捜査官に対して供述する量よりは少なく、被告人の平素の酒量からすると、本件自動車を運転当時、酒の酔いの影響により正常な運転ができないおそれがある状態ではなかったと主張する。しかしながら、関係各証拠によると、前記のとおり、被告人は、飲酒店「よってんべ」において少なくとも清酒約三合とスナック「ラブ」においてウイスキー水割三、四杯を飲み、酒の酔いを自覚しながら本件自動車を発進させ、本件事故発生に至るまでの間、酒の酔いのため工事用の信号を無視し、あるいは道路中央線をはみ出して運転し、結果的にも事故を惹起しているのであって、その過失の態様に影響を及ぼしていることに照らしても、被告人は、運転当時酒に酔い正常な運転ができない状態であったことを明認するに十分であり、右認定に反する被告人の当審公判廷における供述は、他の関係各証拠と対比してにわかに措信できず、所論は採用の限りではない。

以上のほか、多岐にわたる所論について、原審において取り調べた証拠を精査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討しても、原判示第一の事実を認定して被告人を有罪とした原審の認定、判断に、所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

しかしながら、職権をもって原判決を検討すると、原判決は、「罪となるべき事実」の第一として、被告人が、酒気を帯びアルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、昭和六一年五月二日午前零時五分ころ、福島県南会津郡下郷町大字栄富字落水甲二五九番地の一附近路上において、普通乗用自動車を運転した、との事実を認定判示し、その所為がいわゆる酒酔い運転の罪を規定した昭和六一年法律第六三号附則三項により同法による改正前の道路交通法六五条一項、一一七条の二第一号に該当するものとして被告人を有罪としたが、その事実を認定した証拠としては「証拠の標目」欄で、被告人の原審公判廷における供述及び被告人の検察官に対する各供述調書のほかに、「司法巡査作成の酒酔い鑑識カード」を挙示するだけで、他に何らの証拠も掲げていない。

ところで、いわゆる酒酔い運転の事実を認定して有罪とするにあたっては、被告人が自白している場合であっても、当時、被告人が酒酔い状態にあったという点だけでなく、運転行為についても、右自白のほかに補強証拠が存在することを要するものと解すべきである。そこで、これを本件についてみるに、記録によれば、原判決が、本件酒酔い運転の犯罪事実を認定した証拠として挙示する各証拠のうち、被告人の原審公判廷における供述及び被告人の検察官に対する各供述調書の供述記載は、いずれも右犯罪事実についての被告人の自白であるところ、「司法巡査作成の酒酔い鑑識カード」は、被告人が当時酒酔いの状態であった点について被告人の自白を補強するにとどまり、運転行為の点については何ら被告人の自白を補強するものではない。もっとも、記録によれば、原審において、検察官の請求にかかる山越一幸及び湯田守の司法警察員及び検察官に対する各供述調書並びに司法警察員作成の昭和六一年五月二二日付及び同年六月三〇日付各実況見分調書が同意書面として取り調べられて記録に編綴され、右各供述調書及び実況見分調書は被告人の本件酒酔い運転の事実中、運転行為の点について被告人の自白を補強するに足りるものと認められるが、原判決はこれを挙示引用していないことが明らかである。

してみれば、原判決は、結局、原判示第一の酒酔い運転の犯罪事実について、被告人の自白と酒酔い運転の点に関する補強証拠だけでこれを認定し、被告人を有罪としたものというのほかはなく、この点において原判決には、刑事訴訟法三一九条二項に違反した訴訟手続の法令違反があることに帰着し、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわなければならない。

従って、原判決は、量刑不当の論旨について判断するまでもなく、既に右の点において失当であり、原判決が、原判示第一の事実のほか、同第二の事実を認定し、科刑上一罪の処理をしたうえ各懲役刑を選択し、以上を刑法四五条前段の併合罪として一個の刑を言い渡しているので、その全部につき破棄を免れない。

そこで、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して被告事件につき更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

原判決の「罪となるべき事実」と同一であるから、これを引用する。

(証拠の目標)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は昭和六一年法律第六三号附則三項により同法による改正前の道路交通法一一七条の二第一号、六五条一項に、判示第二の所為中、永井に対する業務上過失致死の点及び湯田、山越の両名に対する各業務上過失傷害の点は、いずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、右第二の所為は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い永井一由に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、各所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で処断すべきところ、記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも併せて諸般の情状を検討すると、本件は、被告人が、判示第一のとおり、酒気を帯び、アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、本件自動車を運転し、同第二のとおり、業務として右自動車を運転し、判示道路を進行中、判示の過失により同車を道路右側に暴走させて橋の欄干に激突させ、その衝撃により自車同乗者永井一由(当時二四歳)を車外に放り出して阿賀野川に転落させ、よって、同人を頸椎骨折により即死させるとともに、自車同乗者湯田守(当時二四歳)及び山越一幸(当時二七歳)に判示の各傷害を負わせた事案である。各犯行の動機、経緯、態様についてみるに、被告人は、永井らとともに清酒やウイスキー水割り等を相当量飲み、酒に酔っていることを自覚しながら、会津若松市内にラーメンでも食べに行こうとして永井らを同乗させて敢えて本件自動車を運転したものであって、動機に格別酌むべき事由を見出し難いうえに、深夜で交通閑散であり、かつ、酒の酔いに乗じて運転が大胆となり、工事用の赤信号を無視し、あるいは、中央線を右側にはみ出すなどの危険な運転を継続したうえ、自動車運転者としての基本的注意義務を怠った結果、判示の過失により、自車を道路右側のガードフェンスに接触させ、更に、判示欄干に激突させて本件事故をひき起こしたものであって、本件事故現場付近の路面には、同車が欄干に激突するまでの間、長さ16.8メートルと6.9メートルの二筋のスリップ痕が印象され、橋の欄干手前の石像は台座のみ残して橋名を刻んだ御影石が橋の南側崖下に落下し、橋の欄干上部には本件自動車の後部窓から車外に放り出されて川の中に転落した永井のものと思われる毛髪が付着するなど現場には本件事故のすさまじさを物語る痕跡をとどめているほか、本件自動車は、左ドアが凹損し、後部窓枠が脱落するなど全面にわたって大破し、ほぼ一回転して停止し、本件事故の結果、永井は頸椎骨折により即死するとともに、湯田及び山越の両名に対し判示のような重傷を負わせたものであって、かかる本件事故の態様、結果等に、被告人は、罰金刑とはいえ、酒気帯び運転や速度違反を内容とする道路交通法違反の罪により多数回にわたって処罰されていることなどをも勘案すると、犯情は芳しくなく、被告人の本件刑責は軽視することを許されない。他方において、判示第二の各被害者らは、被告人が酒酔い状態にあることを知りながら判示自動車に同乗した点において落ち度があること、被告人は、本件各犯行を反省悔悟して、再び過ちのないことを誓っていること、被害者及びその遺族との間で示談が成立し被害感情が宥和していること、その他被告人の年齢、生活態度、被告人には罰金前科しかないことなど、被告人の利益に考慮すべき諸事情を十分参酌して、被告人を懲役一年に処することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高山政一 裁判官泉山禎治 裁判官千葉勝郎)

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